悲しさを直視できる勇気があるかどうかがすべてを決めていると言っても過言ではない

私たちはつい、

悲しさや怒りを押さえ込んだり

なかったことにしたり

見て見ぬふりをしたりします。

 

 

でも私の世界観で言えば

私たちがこの地球に生まれた理由は

ただ楽しむため、であり

そして何を楽しむのかというと

まさに「感情を」だと思っています。

 

 

美味しいものを食べるのは?

好きな人に触れるのは?

ブランド品のカバンを買うのは?

全てのことが

うれしいたのしい

そんなことを感じるためだと

思っています。

 

 

ですが同時に

私たちにとっては本来

悲しいや腹立たしいと言った感情さえも

宝物です。

感情全てがこの地球の、

もしくはヒトとしての醍醐味です。

 

 

個人的な話になりますが

自分をコントロールできるようになると

大抵冷静でいられるようになります。

あらゆる全ての外界の出来事が

私にとって

「ただ自分を省みるための情報」となりますから

感情の起伏の幅が少なくなります。

 

 

ただ、ある時ふと感じたのは

「あれ、私、

感情の起伏は減ったけど

なんだかとても最近

自分が無味乾燥な感じがする」

という【違和感】でした。

 

 

無味乾燥。

ドライ。

クール。

 

 

そこではたと1周廻って

【腑に落ちて】理解するのです。

「感情は宝」

「カンジルということ全てが楽しいのだ」と。

 

 

つい、悲しさや怒りといった

一見ネガティブに思える感情を

消してしまいそうになるけれど

それは

私達を彩り

私達を豊かにし

そして巡り巡って

知らない誰かさえ豊かにするキーです。

楽しいや嬉しいだけを欲してしまうけれど

悲しいも怒りも

私達を芳醇へと成長させてくれるパスポートです。

これも私の大事な宝物、として

自分の悲しさを真正面から見つめたり

それを認めて受け入れたりというのは

決して怖いことではありません。

(最初少し勇気がいるかもしれないけれどね)

 

 

そして昨日まさにそんな話をしていたのですが

人が本気で平和を願う時

全ての人に必要なことはまず

「自身の中の悲しさを見つめ認めること」

だと私は思っています。

 

 

悲しさを直視できないままだと

フラストレーションとなり

他人への攻撃になりかねないけれど

直視し、受け入れすらできたなら

それは私達を大きくし

更に豊かな世界へ連れて行ってくれる

「翼」になると思っているのです。

 

 

自身の中の悲しみを見て見ぬままに

自身の中で腐らせ続け

外界に怯えながら

外界を敵視しながら

外界を憐れみながら生き

だけれどいつか

その歪みに耐えきれなくなって

自分のボディスーツか

自分の心か

はたまた気に入らない他人を

攻撃し続ける生き方がいいのか

 

 

自分の中の悲しみを一度直視してみて

受け入れ

自身を大きく羽ばたかせる

翼に昇華させる生き方がいいのかは

もちろん

それぞれの好み次第ですけれどね◎

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